ショクライフTOP > 栄養士の働き方 > 《栄養士☆成功事例インタビュー》管理栄養士・和食伝承士 緋宮栞那さま③~女の道は一本道/一途に未来のために、今に責任を持つということ~

《栄養士☆成功事例インタビュー》管理栄養士・和食伝承士 緋宮栞那さま③~女の道は一本道/一途に未来のために、今に責任を持つということ~

2016年01月19日

栄養士・成功事例インタビュー/管理栄養士、和食伝承士の緋宮栞那さまの【第三部】をお届けします。

改めて緋宮先生のプロフィールをご紹介します。

• きれい塾JAPAN CULTURE 株式会社 代表取締役社長
• 一般財団法人 ムスヒ財団 代表理事
• 一般財団法人 日本和食協会 理事
• 饗應離宮 隠れ家 館長
• 管理栄養士・日本食文化研究家
• 武士の食卓 和食伝承士 代表
• 饗応料理研究家

医療機関、各クリニックなどにて、管理栄養士・食養カウンセラーとして活動しています。
主に生活習慣病・摂食障害を専門に心と体の栄養指導を手がけ、一人ひとりの摂取できる栄養素はみな異なることから、その人にあった食事法を指導しています。

2015年5月より、和食を世界発信するために「武士の食卓・和食伝承士」資格認定講座を開講されました。

また、隠れ家「饗応離宮・本陣」にて、「武家の饗応膳・節供の会」、「MATSURIの会」、
「殿様の饗応の会」「英雄の会」などを開催し、日本の歴史・饗応文化を伝承しています。
世界で一番健康食と言われている江戸時代の日本食を総まとめし、「武士の食卓」と名付け、時代考証再現食として表現し、世界発信をしています。

※緋宮先生が世界に情報発信されている内容はこちらです※
↓↓
毎日、英文にて和食を世界発信→
*The Samurai Gourmet "武士の食卓" on Facebook*
https://www.facebook.com/thesamuraigourmet.jp/
現在 100万人突破しています!!

【第一部】では緋宮先生が今、一番力をいれている『和食伝承士』育成に注目して【和食】を未来に語り継ぐという栄養士・管理栄養士にとって新しい仕事領域に関わる内容でした。
【第二部】では緋宮先生がここまでに至る《Roots》について語っていただきました。
さて、【第三部】では『未来のために、今に責任を持つということ』についてお届けします。ご期待下さい。

  • ショクライフコンサルタント/麦島

  • 武士の食卓・パンフレット

  • 学習院女子大学/江口泰広先生

◇『命がけ』で生きるということ・・・

✲ 緋宮先生)
作家の三島由紀夫さんの本は全て読んでいて、この熱い男性ってかっこいいと思っていました。当時の私はテンションが高すぎたせいかもしれませんが、自分の志がうまくいかなかったら割腹自殺をしようかと思うくらい、自分の人生の「成すべきこと」を真剣に考えていました。ですから、「言葉をきちんと伝えていかないと、この日本はダメになる」と言って、割腹自殺をした三島由紀夫さんが大好きでしたね。憧れていました。本当に、あの時代、武士の時代、日本男児は、『命がけ』で生きていたのだと思います。

✲ 江口先生)
命がけなんていう言葉を使えること。素晴らしいですよね。なかなか使えないですよ。「武士の食卓」をテーマにされていくところも、そうした心構えから出てきたのでしょうね。


✲ 緋宮先生)
私、無くすものが何もないんです。でも、私が居なくなると生徒たちが困るかなと思って、健康で長生きをしようと思っています。ただ、その責任感の為に、長生きしたいと思っています。世の中や生きることに未練があるわけではないですね。本当に、責任感で生きているようなものです。自分で蒔いた種は、きちんと見届けたいと思っていますよ。

✲ 江口先生)
「無」を言えるっていうのはすごいことなんです。「何もない」ってことは普通は心配ですからね。「何もない」って言えることはすごいですよ。

✲ 緋宮先生)
実は私、ホームレスをしていたことがあるのです。いろいろ苦しんで離婚して、子供とも離れ、何もかも無くして、、、。裸一貫になりました。
お金がなくて、電車に乗れない、食べるものも、何もないなんてことを経験したことのある人はなかなかいないと思います。落ちるだけ落ちて、これ以上、「下」はないと思いました。
何もなく、お金もなく、駅の水道の水を飲んでいるほどでしたからね。あの頃は。
お腹がすいて、ふらふら駅の構内を歩いていて、誰かの嘔吐にすべってころんで、嘔吐まみれになり、その自分の置かれている現状に「はっ」と、気づきました。駅のトイレで服を洗って、髪を洗い、顔を洗って、ふと鏡みて、ありのままの自分を見て、これ以上落ちることは無いと思いました。自分で自分を「すごいな。」って、笑えましたよ。これ以上、「下」がないから、這い上がることしか残っていないのです。自分の顔を見て、笑って、気づきました。
それから、ただ、「這い上がること」しか考えていません。今も、そう思っています。

✲ 江口先生)
これ以上のことがないと感じる。そんな経験をしているなんてすごいですよね。

✲ 麦島コンサルタント)
熱い希望を持っている栄養士じゃないと、途中で挫折してしまいますからね。

✲ 緋宮先生)
よく言う「輝かしい成功」、なんてことは、この世の中にないのではないでしょうか。私の人生は、綺麗な言葉では表現できませんよ。ただ、ここで野たれ死んでしまっては、子供に申し訳ないと思い、泣いている暇はありませんでした。今まで頑張ってこられたのは、自分が偉くなりたいとか、お金が欲しいとか、立派になりたいとかそういったことではなかったですね。子供たちのためにも、子供たちに会いたいから、がむしゃらに這い上がることしか、残されていなかっただけです。

✲ 江口先生)
子供のため。これは、本当に女性の力ですよね。男性にはない力ですよね。

◇『武士の食卓・饗応料理の会』

✲ 江口先生)
ところで、「武士の食卓」というのはどのようなところなのですか?食事ができるレストランみたいなところなのでしょうか?

✲ 緋宮先生)
いえいえ、レストランではないんです。金沢のお店をやっていた経験上、絶対、お店、店舗はやらないですよ(笑)。

マンションの一角で講座をしています。そのテーマを「武士の食卓・饗応料理の会」として、各藩のお殿様をお呼びして、講話と会食会をしています。

実家の代々受け継がれている食器などを使用して、会食しながら、文化を学ぶという会食会です。徳川秀忠の三女の珠姫様が前田利常に3歳で御輿入れした時に持ってきたお膳などもあるんですよ。いろいろなお殿様たちの家紋が入っている器や古美術があります。天目茶碗や一休さんが書いた掛け軸、上杉鷹山の書いた手紙などもあります。これは、私の宝物ですね。私なりの贅沢かもしれません。

皆さんに本物の美術品と料理を見て感じて、学んでいただくための食事会です。

✲ 江口先生)
お宝ばっかりで素晴らしいですよね。
因みに何方の紹介で、その各藩の末裔の方々をお呼びするんですか?

✲ 緋宮先生)
都道府県会館へ行って、紹介してもらっています。
都道府県会館では、かなりプライベートな情報を確認されますので、まず自分についてプレゼンを行い、許可を得て紹介していただいています。まずは、信用が一番大切ですね。

それから縁が繋がって、お殿様が他のお殿様や英雄、著名な方々を紹介してくださいます。1つ1つの実績が功を奏してどんどん繋がりが広がってきています。とても、素敵な縁が広がっていきますね。

1回1回の講座で、実績を出すことが信用に繋がって、次の講座に結びついて行きますので、その1回1回が真剣で命がけなのです!講座が終わると、心身ともにヘトヘトですね。(笑)

◇歴史を繋ぐ女性の役割

✲ 緋宮先生)
私は女性に頑張ってもらいと思っています。女性の応援団長のつもりでいます。これまで文化を伝えてきたのは大奥の女性たちでした。大奥の卒業生が日本の文化を伝えて来たのですよ。日本の文化伝承は、このような大奥出身者のエリート女性たちが、和の文化を伝えてきているんです。本当に、素敵なことですね。女性の実績が、今の日本の文化を支えてきたのです。

✲ 江口先生)
学習院大学も同じなんです。日本の国力の原点は、男性をサポートする女性を教育することなんですよね。

✲ 緋宮先生)
《和食伝承士》の育成は女性教育の場でもあります。たまに男性も参加していますけどね。ちょうど良いバランスです。女性の役割を自覚してもらうためにも、女性が食の大切さを伝えていけるようにしたいと思います。女性の役目ということですね。今後、お母さんになっていくために、心身ともに健康なお母さんになるために、日の丸を背負って生きていく新しい世代を育てて行くために。食育というくくりの難しい学問で考えるのではなくて、「伝承する」という役目ということだと思っています。

✲ 江口先生)
日の丸を背負うということ。これは、日本を背負うということ。海外にいくと、私は日本人ですという日本人は少ないですからね。「日本人」であるというアイデンティティをもつことは大切なんですよね。3年後のプロジェクトがとっても楽しみです。

✲ 緋宮先生)
3年後の、一般財団法人「日本和食協会」(代表理事・四條司家41代目・四條流包丁道・四條隆彦氏)を中心に、浜離宮プロジェクトが、2018年を目指して進んでいます。世界の国賓や観光客を饗応するための迎賓館を作るプロジェクトです。浜離宮に、和のテーマパークを作るのです。服部先生などの有名な先生方も、「日本和食協会」の同じ理事としてご活躍されています。
その中で私は理事として、企画運営担当なので、その浜離宮プロジェクトに、日本文化の「一流」をそろえることが使命なのです。ですから今は、そのプロジェクトが進むために、『和食を提供していくプロ』を育てること、「和食伝承士」の育成に命がけで取り組んでいます。本当に、世界に誇れる健康食の和食のテーマパークが出来ること、とってもワクワクして楽しみでなりません!

◇「管理栄養士」に伝えたいこと・・・

✲ 江口先生)
緋宮先生は女性としての生き方を、生き様を通して教えて下さっていますよね。
最後の質問になるのですが・・・
「管理栄養士」の皆さんにお伝えしたいことはありますか?

✲ 緋宮先生)
『武士の食卓~和食伝承士・プロ育成講座~』にはテレビにも出ているくらいの有名な管理栄養士の方も学びに来ていますよ。「何のために、来ているの?」と聞いたら、「歴史を知らないからです」と言われました。また、「後ろ盾がほしいから」という方もいらっしゃいます。「武士の食卓」というコンセプトにとても共感した方、それをさらに自分の情報として勉強したいという方々ですね。今は、プロにまで成長して、講座の運営や講師をしてもらっています。夢と生きがいの成功、和食伝承士の講師を仕事として、プロの皆さんは、きちんと自立していますよ。もちろん、経済的にもです。本当に努力のたまものですね。よく頑張っていると思います。

今私は、47都道府県にこの事業を広めたいと思っています。なので、プロの講師も47人以上に増やしたいと思っています。仲間みんなで作り上げていきたいのです。60歳になったら、食の仕事は引退したいと思っています。60歳まであと5年。緋宮栞那という名前を次の世代の人に引き継いでほしいと考えています。そう思うと、2代目「緋宮栞那」の誕生がとても楽しみです!!

「和食」の良さ、素晴らしさをしっかりと普及してくれる人を増やしていきたい。みんなで協力して《和食伝承士》を日本中に広めていって欲しい。「武士の食卓」というブランドで皆が豊かになることを願って頑張っています!!私の天命は、「日本文化伝承」ですから。

仕事柄、多くの若者に出会います。若者たちは、お金がないから稼ぎたいと思っている人が多いです。でも、「お金が、お金が、、、、、」と言っている人には、お金の神様は微笑んでくれませんね。「好きな事」「ワクワクすること」そして、「世の中の為になること」の3つが一致した仕事をすることが、お金の神様が一番たくさん微笑んでくれるんですよ。
私の座右の銘は「国の為・道の為」です。
だから、今は、お金の神様と私は、仲がいいのです。(笑)

☆緋宮先生の対談を終えて・・・ショクライフ事務局

実は2時間の対談が終わった後も3人の話はしばらく続いていました・・・

「成功」と「成長」について
「仕事」と「お金」について
「欲」と「お金」について
「試練」について
「子育て」について・・・などなど
なかなか話は尽きない様でした。

分野は違えど「命がけ」で「一途」に取り組まれてきた「仕事」に共感する部分がお互いに多かったのだと思います。同時に栄養士・管理栄養士の成功事例を伺いながら『仕事』に大切な基本姿勢は分野問わず一緒なのだと感じました。

自ら管理栄養士として医療機関やクリニックなどで活躍しているにも関わらず『和食伝承士』という全く新しい仕事の分野を立ち上げ世界が注目する『和食』を日本人がしっかりと継承し、プロとして世界に発信できる人財を育て上げることに命がけである緋宮先生。

改めて『食』の持つ可能性、包容力、教育力を思い知ると同時にその「食」に精通している栄養士・管理栄養士の新しい活躍の分野として『伝承士』というステージが存在するという事実をはっきりイメージ出来た2時間でした。